先日友人からカソリックの女子校の教育について書いているブログがあると聞いたので探してみました。結局見つからなかったので友人の話をまとめると次のとおりでした。
カソリックの女子校は、まるでモーパッサン『女の一生』の修道院みたいなもので、「悪い虫」が付かないように週6日学校に縛り付け 、夫に身も心も仕える良妻賢母を校是(表向きは宗教的な言葉でカモフラージュされている)としている。信者はごくわずかで、キリスト教の教義よりはその雰囲気に酔わされているだけで、信仰を強制することはなくてもキリスト教社会に都合のいいイデオロギーはちゃんと押し付けてくる。しかしイエズス会が東洋での奴隷貿易に加担した歴史などには触れない。
宗教がポリティカルな何かと関係することがあるのは時間・空間を問いませんが、そういうことは少なくとも私の経験にはありませんでした。
そういう宗教的なことはさておき、女子校に求められるものに異性との関わりを絶つことがあるのは疑いはないと思います。
『女の一生』のジャンのような男性への依存体質を生むとは限らないと思いますが、男子を美化したり忌避したりする意識は共学の人より強いかもしれません。
この季節になると「PL学園に転校したい」と言う生徒がいたのを思い出します。
埼玉県の公立男子女子高校の共学化が議論されています。大学も共学化する女子大が増えています。女子校で育った私としては、安心して生活できる女子だけの空間もあっていいのではと思います。
ただ、スポーツの応援などを通して生徒や卒業生と一体感を醸成するのは羨ましいと思います。その見返りにポジティブな意味で 「・・生」という意識を強く植え付けられるのかもしれません。
などという私はとっぷり女子校体質の中につかっているのでしょう。
若い男の先生もいませんでしたね。(生徒から見たら)おじいちゃんばっかり。文化祭なんかカソリックの男子校や県立の進学校しか行くなと言われてました。
返信削除「この学校を出ていればどんな家にもお嫁にいける」とも言われてました。
男子との距離は両極端だったかもしれません。はつきさんおとことその点似てると思いました。
お堅いイメージですもんね。私のとこはプロテスタントだったから自由というかゆるい感じでしたけど。
返信削除男子校の生徒とグループで図書館に行って一緒に勉強したりとかありましたね。もっとも教えてもらってたと言った方がいいかも。
若い男の先生はいませんでしたね。今はどうか知りませんけど。男の先生の方が優しかったですね。
カトリックではありませんでしたが良妻賢母みたいな雰囲気はありました。ただし家事よりは礼儀や作法を重んじていたといました。最近はどうでしょう。どこの学校も進学実績強調しているみたいですけど本来の教育理念はどうなんでしょう。それから受験産業が作ったMARCHだとか日東駒専だとか意味の無い語呂合わせを進学実績に載せてたりとかを見ると主体性を失っているように思えます。かりに修道院みたいだったとしても真っ当なのではないかと思います。
返信削除元の記事書いた人だ~れだ。
返信削除ボーボワールかしら。
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返信削除うまい!
返信削除登志子さん、お題拝借しました。
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